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鹿児島地方裁判所 昭和39年(ワ)353号 判決 1967年1月31日

主文

一  被告らは原告に対し、別紙目録記載の不動産について、いずれも昭和三九年九月三日錯誤を原因として、鹿児島地方法務局同日受付第二四六八九号の各所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

二  被告岩重一男は原告に対し、前項の不動産について、昭和三七年九月三〇日贈与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、

一  被告岩重一男は昭和三七年九月三〇日その所有にかかる別紙目録記載の不動産(以下「本件不動産」といい、土地を「本件土地」、建物を「本件建物」という。)を原告に贈与し、原告はその所有権を取得した。

二  しかるところ、本件不動産については、それぞれ鹿児島地方法務局昭和三九年九月三日受付第二四六八九号をもつて同年八月一七日売買を原因とする被告一男から被告山中義美への各所有権移転登記がなされている。

三  しかしながら、右の各登記は次の理由により、抹消さるべきものである。すなわち。

1  被告両名の間の売買契約は存在しない。少くともこれは虚偽表示によるものであるから無効である。すなわち、被告両名は通謀のうえ、被告一男が被告山中に売渡したかのごとく記載した証書を作成して、売買契約をしたかのように仮装したのである。

2  仮にそうでないとしても、原告としては、本件不動産につき、被告一男が他に登記名義を変更し原告に対する移転登記義務を免れようとするおそれがあつたので、原告を仮処分債権者として鹿児島地方裁判所に譲渡、質権、抵当権、賀借権の設定その他一切の処分禁止の仮処分申請をなし、昭和三八年三月一三日その旨の仮処分決定を得て同法務局同日受付第四一六四号の各仮処分登記を経由してあつたところ、被告山中は本件不動産が原告の所有であることを知つていたのみでなく、被告一男と共同して原告に対し右仮処分の取下を強要し、かつ、その取下をすれば原告に所有権移転登記をする旨申向けて原告を欺罔し、これを取下させたうえ、その虚に乗じ被告両名の間の前記移転登記をしたものであるから、被告山中は原告の本件不動産の所有権取得につき、その登記の欠缺を主張しうる第三者ではない。したがつて原告は同被告に対し登記なくしてその所有権取得を主張しうるものである。

被告山中が被告一男の原告に対する右欺罔行為に加担した背信的悪意者であることは、被告一男が右仮処分の取下を求めるため東京在住の原告宅に赴く際、被告山中及びその雇人である訴外森純哉が同道しており、同被告において被告一男の旅費を負担していること、右森が右仮処分取下に際し被告一男から原告に差入れた誓約書の文案を作成していること、右誓約書には被告山中において支払うべき本件建物の賀料の支払先を定めた条項が加えられていること及び同被告が原告との間に原告を所有者兼賃貸人とする建物賃貸借契約書をかわしていることからも明らかである。

四  よつて原告は、本件不動産について、所有権に基づき、被告らに対し前記各所有権移転登記の抹消登記手続を求めるとともに、被告一男に対し昭和三七年九月三〇日贈与を原因とする所有権移転登記手続を求める。

と述べた。

立証(省略)

被告ら訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因事実中、本件不動産について原告主張のごとき各所有権移転登記、仮処分決定がなされていること及びその後原告において右仮処分を取下げたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。被告らは原告に対し右仮処分の取下を強要したこともなく、また原告を欺罔した事実もない。本件不動産は被告両名の間の売買により正当に所有権移転登記手続がなされたものであるから被告山中の所有権移転登記が原告その他何人に対しても有効であることもちろんである。

反に被告一男が原告に誓約書を差入れる際、多少の甘言を用いて原告から仮処分取下書を徴したとしても、同被告としては本件不動産が自己の所有であるとの確信に基づくものであり、また被告山中としては被告一男から原告への右誓約書の差入れについて全く関与しておらず、本件不動産が原告の所有であることを知らされておらないのであつて、その所有権が被告一男にあるものと信じて買受けたものであるから、被告山中はその所有権取得を原告に対抗しうるものである。

と述べた。

立証(省略)

理由

一  本件不動産について、それぞれ鹿児島地方法務局昭和三八年九月三日受付第二四六八九号をもつて同年八月一七日売買を原因とする各所有権移転登記がなされていること、本件不動産について、昭和三八年三月一三日鹿児島地方裁判所の譲渡、質権、抵当権、賃借権の設定その他一切の処分禁止の仮処分決定がなされていること及びその後原告において右仮処分を取下げたことはいずれも当事者間に争いがない。

二  そこでまず、被告岩重一男及び訴外桐原静男と原告及び訴外岩重幸子がその父である訴外亡岩重伊之丞の遺産をめぐり、これを再分配するという話が持ち上り、近親者らが集つて協議がなされるに至つたいきさつについて判断する。成立に争いのない甲第二、三号証、第五号証、証人岩重敬蔵(第一回)、同桐原静男の各証言及び原告、被告岩重一男各本人尋問の結果を総合すると、

1  原告及び被告一男らの父である前記伊之丞は鹿児島市高麗町に家屋敷を所有して生活していたが、昭和二六年一一月頃阿久根市の病院で危篤状態に陥人つた際、妻訴外亡岩重ゆき及び当時長崎にいた長男被告一男、二男前記静男、三男原告、娘訴外岩重カ子及び前記幸子を枕元に呼び、被告一男と右静男には右高麗町の家屋敷(土地約一九八・三四七一平方メートル(六〇坪)及び建物四棟)を半分ずつ、原告には鹿児島県大島郡笠利町の土地(二六四・四六二八平方メートル(八〇坪)を遺贈するから兄弟仲よく暮すよう遺言したこと、

2  右静男はその後右遺産を管理し、昭和三四年頃右高麗町の家屋敷の半分、すなわち同町一八九番の一九の土地約一〇二・四七九三平方メートル(三一坪)を自己名義に登記し、その後昭和三五年一一月頃長崎から鹿児島市に越してきた被告一男はその残り半分、すなわち本件土地を含む分筆前の同町一八九番の四の土地約一〇二・四七九三平方メートル(三一坪)及び建物二棟を昭和三六年七月二七日及び同年一〇月二四日自己名義に登記したこと、

3  右一八九番の一九の土地上の建物には右静男が居住し、右一八九番の四の土地上の道路に面した店舗二棟のうち、一棟は被告山中が昭和三二年頃右静男から賃借し、被告一男に名義変更後は同被告から賃借して不動産周旋業を営み、他の一棟は訴外塚原邦康が同様賃借して写真材料店をしており、また右土地上の裏側の住家には前記ゆき、幸子のほか、昭和三五年三月までは原告が居住していたこと、

4  一方原告に贈与されることになつていた前記笠利町の土地は、その後奄美群島の復帰後問合せて調査したところ第三者の手に渡つていることが判明したため、被告一男及び右静男としても原告に対し右土地に代り何らかの財産を分けるか金を渡さなければならない立場におかれていたこと、

5  右幸子は以前から病身で結婚ができず、ノイローゼ気味であり、また右ゆきも昭和三二年頃から病気であつたため、隣家の右静男と昭和三六年頃からは被告一男が同人らの世話などしていたが、右ゆきは右幸子の不幸な境遇を不憫に思い、その将来を気にかけ、近親者に対し右幸子の生活が成り立つよう考えてほしい旨言い遺して、昭和三六年一二月二九日死亡したこと、

6  その後昭和三七年八月半ば頃右母ゆきの初盆のため大阪から帰省した原告が被告一男及び右静男に対し遺産の再分配を申入れ、自らもこれによつてうる収益を右幸子に廻し母ゆきの遺志どおり、右幸子の生活をみて兄弟としての責任を果したい意思で、叔父である訴外岩重敬蔵、同横山正二らに相談し、右遺産の再分配を委任し、他方被告一男及び右静男も従兄である訴外上野勇造、右敬蔵らに相談してこれが善処方を申出たため、右敬蔵、正二、勇造及び訴外河野鉄雄が中心となり、被告一男、右静男及び右幸子らを交じえて右遺産の再分配につき協議する運びとなつたこと、

をいずれも認めることができ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

三  次に前後三回にわたる右協議当日の模様及び本件不動産について被告一男と原告との間に贈与契約が成立したかどうかについて考察する。証人岩重敬蔵(第一回、後記認定に反する部分を除く。)、同桐原静男、同岩重菊代(後記認定に反する部分を除く。)の各証言、被告岩重一男(後記認定に反する部分を除く。)本人尋問の結果によると、

1  昭和三七年九月一日被告一男宅で第一回の協議、同月八日同じく同被告宅で第二回の協議がなされたが、右敬蔵らは先祖伝来の岩重家の土地を高麗町に残したい考えであり、被告一男及びその妻訴外岩重菊代はいつまでもこのことにこだわる必要はなく、右高麗町の家屋敷を思い切つて売却して他の土地を買い替えるべきだとして根本の考え方は違つていたが、大勢の赴くところは、前記認定の父母の遺志を受けつぎ、受贈者である原告及び右幸子と贈与者である被告一男及び右静男との権衡を考慮し、右幸子の将来についても十二分に配慮し、そのいずれにも不利とならないよう右四名の間で遺産を再分配することとなつたこと、

2  そこで調停役である前記敬蔵らのはからいで被告一男は本件不動産を原告に贈与し、原告はこれにより得られる賃料収入を右幸子に廻すこととし、右静男は被告一男が原告に贈与する土地に見合う土地の代りにその価格三・三〇五七平方メートル当り金七〇、〇〇〇円、約二六・四四六二平方メートル(八坪)とみて金五六〇、〇〇〇円を右幸子に贈与し、これを向う一〇箇年以内に毎月金五、〇〇〇円宛を分割して支払うこととする骨子ができ上つたが、前記菊代は名実ともに夫である被告一男の所有であり、その名義である本件不動産を原告に分け、これまで受取つていた賃料まで右幸子に渡すことに対して絶対反対であると不服を述べ、どうしてもやれというなら心中するなどといい出したため話はまとまらなかつたこと、

3  右敬蔵、正二らは右菊代を加えたらできる話もまとまらないとして場所をかえて右菊代を加えず協議をすべきであると主唱し、第三回の協議は同月三〇日右正二宅で行なわれたこと、

4  第三回の協議は右敬蔵に多少命令的で押しつけがましいところはあつたにせよ、被告一男において多勢に無勢で自由な意思決定ができなかつたというような状態ではなく、最初から酒食が出され、とくに喧嘩でも始まるような不穏な空気もなく、終始なごやかであつたとはいえないまでも、普通の状態で話合いがなされ、被告一男は右敬蔵のいわれるとおり協議書を記載作成し、自己の氏名を書き入れ、積極的に反対の意思を表示するようなこともなかつたこと、

をいずれも認めることができ、右認定の事実に反する証人岩重敬蔵(第一回)、同岩重菊代の各証言及び被告岩重一男本人尋問の結果はいずれも措信できない。

さらに成立に争いのない甲第一号証、第六、七号証、郵便官署作成の受付印部分につき争いがなく、その余の部分については、被告岩重一男の供述により成立を認めうる乙第一、二号証の各一、同供述により成立を認めうる第一、二号証の各二、被告山中義美(第二回)の供述により成立を認めうる第五号証の一、証人岩重敬蔵(第一回)、同桐原静男の各証言及び被告山中義美(第二回)の供述によると、前記協議によつて賃料を受け取ることとなつた右幸子と被告山中との間に右協議の日の翌日である昭和三七年一〇月一日あらためて建物賃貸借契約がなされており、同日以後本件建物の賃借人である同被告はその賃料を右幸子またはその代理人である前記敬蔵に支払つており、被告一男に支払つていないのに、同被告はこのことについて何ら苦情も述べず、相当長期間を経過した昭和三九年六月下旬頃になつてはじめて被告山中に対し内容証明郵便をもつて右賃料を自己に支払うべきことを請求していること、被告一男は後記仮処分取下の際原告に差入れた誓約書に前記協議により定まつたとおりの条項を記載していること、被告一男と同様贈与者となつた前記静男は前記協議どおり、毎月金五、〇〇〇円を右幸子またはその代理人である前記敬蔵に支払つて、履行していることをいずれも認めることができ、被告一男はもとより関係者全員が前記協議が有効に成立したものであることを前提として行動していたことを窺うことができ、右認定をくつがえすに足る証拠はない。

以上認定の諸事実と証人岩重敬蔵(第一回)の証言及び弁論の全趣旨を総合すると、被告一男は前後三回にわたる協議の結果、示された結論に対し、諸般の情勢から従わざるを得ないものとして合意し、自ら自己の氏名を書き入れて捺印し、前記協議書に記載したとおり本件不動産を原告に贈与することを承諾したものというべく、叙上認定に反する証人岩重菊代の証言及び被告岩重一男本人尋問の結果は前掲各証拠に照らし措信しない。

なお、前記協議書が相当箇所訂正されており、無体裁のものとなつていることは検証の結果により明らかであるが、原告に対する贈与部分の記載にはさしたる訂正もなく贈与の効力に影響を及ぼすものとはいえないし、右菊代が協議に加わつていないことさきに認定のとおりであるが、同人は贈与の当事者でないからこれまた贈与の効力に何らの関係もなく、前記認定の妨げとならない。したがつて本件不動産の所有権は昭和三七年九月三〇日被告一男から原告に移転したものというべきである。

四  そこで進んで被告両名の間の各所有権移転登記が抹消さるべきものであるかどうかについて判断する。まず被告両名の間の売買契約が存在しないことないしは通謀虚偽表示によるものであるとの事実は本件全証拠によつてもいまだもつてこれを認めるに足りない。そこで被告山中が登記の欠缺を主張しうる第三者であるかどうかについて考察する。

被告山中が前記店舗一棟を昭和三二年頃前記静男から賃借し、被告一男に名義変更後は同被告から賃借して不動産周旋業を営んでいたこと、その後前記協議の日の翌日である昭和三七年一〇月一日あらためて前記幸子との間に建物賃貸借契約を締結し、同日以後その賃料を同人またはその代理人である前記敬蔵に支払つており、被告一男に支払つておらなかつたことは前記認定のとおりである。そうして前記甲第一ないし三号証、第五ないし七号証、乙第一、二号証の一、二、第五号証の一、被告山中義美(第二回)の供述により成立を認めうる乙第三、四号証、第五号証の二、第六号証、証人岩重敬蔵(第一、二回)、同森純哉(後記認定に反する部分を除く。)の各証言並びに原告、被告岩重一男、及び同山中義美(第一、二回)、各本人尋問の結果によると、

1  被告山中は多年不動産周旋業を営み、不動産登記には精通し、登記簿等の閲覧など容易にできる立場にあつたこと、

2  被告山中は昭和三九年七月当時本件建物をすでに七年余り賃借していたのみでなく、昭和三八年被告一男が福岡に転居した頃に本件建物の裏側のもと前記ゆきらが居住していた住家を賃借して居住しており、岩重家とは永年交際してその内輪にもめごとがあることも隣家のことではあり耳にしていたこと、

3  被告山中は被告一男から昭和三九年六月下旬頃二回にわたり内容証明郵便をもつて本件不動産の賃料を自己に支払うよう請求され、また前記幸子の代理人前記敬蔵からもこれを自己の方へ支払うよう請求されたため、同年七月二〇日頃使用人である訴外森純哉を同道して福岡に赴いて被告一男を訪ね、同被告に対し同月分の自己の賃料及び預つてきた前記塚原の賃料を支払つたうえ、同被告と相談したところ、同被告及び前記菊代からごたごたが起きていてうるさいからこの際本件不動産を買つてくれといわれ、右不動産についてなされている原告の仮処分登記を抹消して完全な所有権とするとの確約を得たので、これを七〇〇、〇〇〇円で買受ける契約をし、このことあるを予想して用意していた金一〇〇、〇〇〇円を手附金として支払い、残額は右仮処分登記を抹消したうえ移転登記手続と同時に支払うことを約したこと、

4  その後被告山中は同年八月一〇日頃再び被告一男の求めに応じて、前記森と同道して福岡に赴き、同被告と上京し、同月一一日夜自らも土産物を持参して原告宅を訪ね、原告に対し前記仮処分の取下方を要請したこと、

5  被告一男及び右森はその後も同月一二、一三、一四日の連日原告宅を訪ね、同被告から原告に対し福岡の土地を原告名義にするから福岡で生活することにしてはどうかとすすめるなど手をかえ品をかえて右仮処分の取下を懇請したが、原告が応じなかつたため、原告を欺して仮処分取下書に印鑑を押捺させることを企て、右森が作成した文案どおり原告の納得が得られるような文言を記載した誓約書を作成し、これを原告に差入れて右取下書に印鑑を押捺させたこと、

6  被告山中はその間原告宅には同道しなかつたが、被告一男及び森と同じ旅館に宿泊し、帰途の車中も同じであつて右取下書に印を貰うまでのいきさつについて聞くことが容易な状況にあつたこと、

7  被告山中は前記売買代金の残額金六〇〇、〇〇〇円のうち、金二〇〇、〇〇〇円を昭和三九年八月一〇日頃福岡において、その後さらに金二〇〇、〇〇〇円を東京の旅館において、いずれも前記仮処分登記が抹消される以前に被告一男の申入れを受けて支払つていること、

8  被告山中は右仮処分登記抹消後の同月三一日受付第二四二八三号をもつて同月一九日売買予約を原因とする所有権移転請求権仮登記をし、他方原告は前記仮処分取下書に捺印後、被告一男に騙されたらしいから再度仮処分手続をしてくれるよう前記敬蔵及び正二に委任したので、同人らは同月三一日鹿児島地方裁判所の仮処分決定を得て同日前同様の仮処分登記がなされたが、その受付番号は前記被告山中の仮登記に九番遅れたため、これに対抗できないものとなつたこと、

9  その後同被告は右仮登記の本登記申請をなさず、同年九月三日前記売買予約の二日前である同年八月一七日売買を原因とする所有権移転登記手続をしたことをいずれも認めることができ、右認定に反する証人森純哉の証言はこれを信用することができず、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

以上認定の事実を総合すれば被告山中は被告一男が原告を欺罔して前記仮処分取下書に印鑑を押捺せしめたことを知つていたものというべく、明らかに不動産登記法第四条、第五条に該当する事由はないとしても少くともこれに類する程度の背信的悪意者とみるのが相当であり、民法第一七七条の第三者から除外さるべきである。そうすると原告は被告山中に対し登記なくして本件不動産の所有権の取得を主張しうるものである。

五  よつて原告の本訴請求はいずれも正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して、主文のように判決する。

(別紙)

目録

一 鹿児島市高麗町一八九番二〇

宅地     三六・五六一九平方メートル(一一坪六勺)

二 同所同番地上、家屋番号一六九七番

木造板葺平家建居宅  一棟

床面積    二五・六一九七平方メートル(七坪七合五勺)

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